平凡サラリーマンにも目標は必要なのでしょうか?
目標をたてるって簡単に言うけど、実際実しようと思ってもなかなか難しいものです。
子供のころから親や学校で目標を立てなさいって言われて、必死に考えたりしても未来のことは想像もつかないし、考えてみてもそもそも目標て何なのか分からなくなっくなってしまって、終いには考えるのが面倒になって、真剣に考えるのを放棄してしまうものです。
なのでしっかり自分で考えて目標を立てることなく、なんとなく時間が過ぎて、決断をする期限が来てしまって、あまり深く考える事をせずに周りの雰囲気に流されて受験をしたり、就職活動をしてしまうものです。
なので目標を立てるということは、なかなか難易度が高く、平凡なサラリーマンになってしまったような生き方をしていると、いまさらするのは難しことです。
そんな平凡サラリーマンに目標を立てるといった崇高な行為は無理な行為で、今更必要のないもなのでしょうか?
しかし平凡サラリーマンにも、過酷なサラリーマン生活を過ごす為には、やはり目標はあったほうがはいいものです。
目標というと何だかかしこまっていて、立派なものを想像しますが、なんとなくの方向性やイメージと考えると理解しやすいです。
例えば自分はこの山の小川から流れていって、最終的にはあの海にたどり着くんだなっとなんとなく感じるイメージです。
これが出来るようになれば、過酷なサラリーマン生活をもっと楽に快適に過ごせるようになるのです。
なので平凡サラリーマンが目標をもったほうがいいというより、あったら幸せになれるということなのです。
平凡サラリーマンとして、大雑把に分けて会社で出世してトップに上り詰める目標を持つのか、FIREやセミリタイアして早期退職する目標を持つのかどちらかにするのか、決めてしまえばいいのです。
しかし悲しいかな平凡サラリーマンですので、平凡がゆえに会社で出世するのは現実的ではないので、FIREやセミリタイアして早期退職する目標を持つ事に必然的になります。
このなんとなく大雑把な方向性、イメージといった目標を持つ事ができるようになれば、過酷なサラリーマン生活は驚くほどストレスがなくなり、楽に過ごせるようになるのです。
なんと平凡サラリーマンでも目標を持てば、すごく幸せになれるのです。
それは過酷なサラリーマン生活も出世をせず、いずれは早期退職すると決めてしまえば、すべてのサラリーマンとしての問題は解決してしまうからなのです。
なんとなく肌の合わない大嫌いな上司との人間関係も、どうせ先々会社を早期退職したら二度と会わないので、気にする必要がありません。
しかも上司に嫌われて仕事の評価が低くなっても、どのみち出世する必要がないので問題ありません。
仕事終わりに上司に飲みに誘われても、コミュニケーションズを取る必要がなく、なんなら嫌われてもいいので、臆することなく簡単に断る事もできるのです。
同期との出世競争もそもそも出世する必要がないので、余計なストレスを感じる必要がありません。
同期が先に出世してしまって、憐みの目で見られ蔑まれても、どうせ早期退職するので、退職してしまえばどのみち役職は無くなるので、どうでもいいことなのです。
サラリーマンの過酷な業務も成果を出す必要がないので、仕事をクビにならない程度に適当にこなしてしまえばいいのです。
なんせ仕事で成果を出して、出世する必要がないというか、それが平凡サラリーマンの目標なのですから。
平凡サラリーマンの地獄のような過酷な生活は、社内での人間関係、出世に対する自身のジレンマ、業務の結果に対する責任感を解決できれば、かなり楽にすることが出来て気楽ななサラリーマン生活を幸せに過ごせるようになります。
これが平凡サラリーマンでも目標をもつメリットなのです。
なので平凡サラリーマンでも、やはり目標をもったほうがよくて、必要なのです。
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